まえちゃんろぐ

日々の生活の中での気付き、学んだこと、体験したことをアウトプットするブログ(雑記多めです)| プログラミング 本 ワークアウト 茶道

プロフィール

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当ブログ「まえちゃんろぐ」の執筆者・maechanの詳細プロフィールです!ご覧ください。

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簡単な自己紹介

  • ブログネーム:maechan
  • 性別:男
  • 年齢:29歳(1989年生まれ、ファースト平成)
  • 血液型:B
  • 仕事:アプリケーションエンジニア
  • 趣味・特技:茶の湯、ワークアウト
  • 今興味あること:ブログ、データ分析、機械学習
  • 好きな食べ物:鯖味噌、茄子の煮びたし
  • 好きな番組:太田上田(中京テレビ)、橋下徹の即リプ!(AbemaTV)、ニュース女子(DHCテレビ)
  • 出身地:青森県五所川原市
  • 居住地:神奈川県藤沢市
ものづくり大好き人間。
大学生の頃は就職活動をする気は全くなく、とりあえずスキルが欲しかったのでアルバイトでもいいからエンジニアとして雇ってくれる会社を探し、運よくアルバイト入社することに成功。
その後に、とあるベンチャー企業に転職。当時はオフィスで寝泊まりしていた(オフィス兼自宅の会社)。
海外のカルチャー「ギャップイヤー」に影響されて、急にフィリピンのセブ島に2ヶ月間滞在する(ただのバカやろうです)。
帰国後、フリーランスの活動をはじめるが3ヶ月で断念。
現在はとあるスタートアップ企業でエンジニアとして色々やってる最中。
アメリカ人の彼女と同棲中。彼女からの英語覚えろプレッシャーがやばい。
将来は半エンジニア半Xで暮らしていくのが夢です。

ざっくりまとめ!こんな感じ。

これまでの歩み

私がこれまでどう生きてきたかを詳しく書いてみます!

ものづくり好きのルーツは地元にあり

1989年4月、まわりが田んぼと畑しかない青森県のとある田舎で、2人兄妹の長男として生まれ、リンゴと雪の中ですくすくと育ちました。

そう、私の体の半分はリンゴでできていると言っても過言ではないほどリンゴをたくさん食べ育ちました。

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あと青森といえば「ねぶた」!夏盛り上がります

そんな私は小さい頃から「ものづくり」が好きでした。

絵を書いたりプラモデルを作ったりするのが何よりの楽しみでした。

私の現在の仕事は「エンジニアリング」です。ざっくり言えば「もの」をつくる仕事です。

この「ものづくり」好きは小さい頃の実家の環境と深く関係があります。

私の実家は百姓で主に農作物を作っています。リンゴとか米とか。

また祖父は家屋大工を生業にしていて、家には工具や材木などがたくさん。

田や畑を耕し種や苗を植え、育てて収穫したり、家にあった工具や材木を使って椅子や箱を作ったりしていました。

0 から 1 を生み出すことの楽しさと大変さを、肌で感じてきました。

ものをつくった後の達成感、人からもらうリアクションは作った本人にしか味わえません。

こういう経験を通して「ものづくり」が好きな子供になっていきました。

小・中学校は部活に明け暮れた

小・中学校時代の思い出を思い返してみると、部活のことしか頭に浮かびません。たぶんそれしか意識してなかったのかも。

小学校では野球部に入り、キャプテンを勤めていました。

私が通っていた小学校は全校生徒50人くらいの小さな学校。

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全校生徒全員の名前と顔覚えてました

自分のクラスは10人しか生徒がいませんでした。

そんな母数が少ない中でも、野球部はちゃ〜んとあります。

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部員集め頑張った

もちろん部員も少ないです。ギリギリ試合ができるくらいの人数で、毎日練習していました。

今思い返すとそれをまとめていた先生すごい・・・。今何してるんだろう。

野球部の活動の中で一番嬉しかったのは、最初で最後の練習試合。

私の学校もそうでしたが、他の学校も過疎化が進んでいて、どこの学校も思うように試合なんかできない状況でした。

そんな中の試合。

試合が決まった時は心が踊り、テンション上げ上げな状態。と同時に、キャプテンとしての責任からかめちゃめちゃ緊張した

試合の結果は、惨敗。

相手が予想以上に強くて全く歯が立ちませんでした。

こっちが取れた点数は、たったの一点。

でも全員で取った一点。

本当に嬉しかった。

最初で最後の試合の、最初で最後の「一点」。

今でも忘れられません。誰がホームを踏んだかも今でも覚えています。

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後輩のけんちゃん

中学でももちろんスポーツ。

中学ではバレーボール部に入りました。

入部した理由は、父が野球好きで、小学校の頃はぐちぐち練習のことを言われるのが嫌だったので、中学では父が分からないスポーツやろうと思ったのが理由でした。

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理由が安易すぎる

バレーボール部の先生ってすごく怖いイメージじゃないですか。はい、もう、そのまんまのイメージです。生活指導の先生でもあったので怖さはさらに倍。

練習はハードを極めました。

練習前のグランド10周ランニング、その後にみっちり夜まで練習。日曜日以外はほとんど練習です。

殴りつけるようなレシーブ練習に、永遠続くスパイク・ブロック練習、水も決められた時にしか飲むことを許されていませんでした(これ一番きつかった)。

今思い返してみると、本当に「きつかった」の一言しか出てきません(笑)

ですが、きつい練習の中でも「チームスポーツの面白さ」に気付きました。

チームで助け合い、少ないチャンスを全員で拾って一点をもぎ取る。一つ一つの動作を丁寧かつ慎重に行い、メンバー一人だけが良くてもダメで全員がきちんと仕事をしないとチームが機能しない。

この面白さ、やばいっす。

小学校の時にやっていた野球もチームスポーツなのですが、そんなこと意識する力なんてなかったんや・・・・。

やってよかったバレーボール。練習はきつかったけど(笑)

高校時代は闇のはじまり

小中学時代のスポーツに対するテンションが嘘のように消え(俗にいう燃え尽き症候群?)、全くやる気がなくなっていた高校時代

中学時代の受験期間に家庭教師を付けてもらい、そこからみっちり勉強をし、今まで疎かにしていた勉学に励んだ。

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中学時代の成績は後ろから数えた方が早いくらいダメダメダ〜メだった

家庭教師の先生から勉強の方法を学び、無事に希望通りの高校(ごく普通の県立高校)に進学する。

高校生活のはじめは、スポーツ熱がなくなっていたので部活には入らず、やることがなかったので勉強を頑張った

その結果、高校入学初期の中間期末テストで学年2番を取った。

と、するとどうだどうだ。親や先生に変化があった。

以前まで勉強にうるさかった親が何も言って来なくなり、先生も余計に褒めるようになったのだ。

これは当たり前のことなのだけど、当時の僕にとってはとても違和感を感じた。

今思うと、たぶん壊れてたのかな。ダークサイドへ足を踏み入れてたのかな。

私はこう思ったのだ。

「”数字”だけで人の接し方、印象とか色々変わるんだ、何これ、つまらん」。

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当時は歪んでたな(笑)

つまんない、勉強やめたーと思い、再びスポーツに打ち込む。

今度は「弓道」だ。弓道部に入り、みっちり稽古。

袴(はかま)を着たり、弓や矢を使うのはとても楽しかった。

日本の伝統文化に肌で触れられていたし、何より「弓」と「矢」がかっこよかった。

渾身の一矢が的に当たる爽快感は言葉にし難い喜びでした。

パヒュンッ(矢を離す音)… シュパアアン(矢が的に当たる音) がたまらない。

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弓矢ほんと好き

それも長くは続かず。

地区の新人戦入賞と弓道3級という(誰でも取れちゃう)段位を取得したあと、その部活を辞めることになります。

その後は、ゲーセンと家電量販店に入り浸るようになります。

ゲーセンは当時流行っていた「鉄拳」という格闘ゲームをやり込んでいたからだ。

ゲーセンに行けば強い奴がゴロゴロいます。そいつをどう倒すかみんなで話している時が一番楽しかった。

たまに隣の高校と対戦会もしたりした。負け越してたけど。

家電量販店は、一応技術高校だったので、機械やハードウェアに興味があって、放課後みんなでPCやスピーカーなどを見にいったりしていた。

ただ、大半の理由はマッサージチェアに座って気持ちよくなりたかったのもある。

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迷惑すぎる

そんなダラけた高校生活を過ごしていると、気付くともう進路を決める時期

やりたいこと決まってないよ。やりたいこと分からないよ。

何もやることないし、大学進学でいいか、と適当に決めた。進学先の大学も適当に決めた。

一応、成績は上位クラスでいくつか推薦校を選べる状態だった。

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成績が落ちると、親や先生がうるさいから勉強はほどほど頑張ってました

でも適当に決めてしまった。

今思うと親にはとても申し訳ない気持ちでいる。

地元を離れたいという気持ちは若干あったので、その良い口実だ、くらいの軽い気持ちでいたのが正直なところ。

大学時代、闇は続く

私の暗黒時代の最たるものが、ここです。

大学時代を思い返すと、本当に無駄な時間を過ごしたと思う

親には本当に申し訳ないが、したくない勉強、単位のための勉強をするのはとても苦痛だった。

私立大学で学費は安くなかったので、奨学金も借りていたし。

そんな私の唯一の楽しみが、ゲームでした。

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というか、ゲームに逃げてたな

マイクロソフトから発売されている「Xbox 360」で、夜な夜な友達とゲーム三昧。オンライン対戦はアツかった。

一応、卒業だけはしないと思い、テスト期間中は勉強を頑張った。

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たぶん、レールから外れたら終わりだと思っていたのだと思う

典型的なダメ大学生活。

よく4年間も大学に通えたなと思うくらいに、当時はやる気ゼロ人間だった

そして、ふと気付けば、また進路の時期である。大学院に進むか、就職するか。

私が就職活動をする時にちょうど、東日本大震災が起こり、就職活動にも多くの影響が出た。内定が決まらない人や内定取り消しの人もいた。

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研究室の空気も重かった。どんよ〜りとしてた

それも影響して、大学院に進む友人も何人かいる中で、これ以上は親の負担になることはしたくない。そう思い、就職を決意。

ただ、当時は就職活動をする気は全くなかった。

長ったらしいエントリーシートを何社分も書き、全員一緒の髪型に服装で、言いたくもないことも当然のように言わないといけないことに若干の違和感を感じていた。

私のルーツも手伝ってか、私の父や祖父を思いこう感じた。

「スキルがあれば生きていけるよね。スキルがあれば誰かが必要としてくれるはず」。

そう思い、とりあえずスキルが欲しかったのでアルバイトでもいいからエンジニアとして雇ってくれる会社を探し、運よくアルバイト入社することに成功しました。

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「エンジニア」は大学生活の中で興味が湧いた職業だったので

はじめてのエンジニア業、闇雲に走った1年半

右も左も分からず飛び込んだIT業界。今振り返ると、ただ前だけ見て突っ走っていた感覚です

面接の2週間後には初出社、その次の日から開発がスタートという、ステップの早さ。

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ベンチャーならではのスピード感

私はこの会社では「iOSアプリ開発」をメインに担当していました。

そう、iPhoneのアプリの開発ですね。当時はiPhoneのアプリがノッてる時期でした。

面接の時に、「うちもアプリ作りたいんだよね〜、できる?」と言われ、それに対して、やったことなかったけど「いけます」とだけ一言答えた。

だから私の仕事は入社前から「iOSアプリ開発」と決まっていた。

オフィスに着くと、自分の席にiMacが置かれていた。

デザイナー御用達のPC、色気のある丸みを帯びたフォルム、憧れのiMacちゃん。

入社前に上司から「うちにはアプリ作れる人いないから、作業は君一人だけど、大丈夫だよね。本は買ってあげるから、それ見て頑張ってね」と言われていた。

もう覚悟を決めてやるしかなかった。

そして、ただ黙々と作った。

買ってもらった本をメインに、分からないところはGoogleで検索、あとは技術系の勉強会に参加して人に聞いたりしながら乗り切っていました。

少々専門用語になるけど、”当時の自分”がボヤきたかったこと言わせて。

アプリ内のメモリ管理めっちゃシンドイ!静的型付け言語を使うのは為になるけど、初心者にはツラミ!Objective-Cのメッセージ式構文、なんか気持ちわる!

よし(笑)

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今はそんなこと思ってませんよ

業務から得たものを形にして残しておこうと、自分のメモ用にブログも書いていました。今見ると懐かしいなあ。

この会社で作ったアプリは、「2ちゃんねるまとめのビューアー」や「ツール系アプリ」、それから「ゲーム」など計5本。

でもこの時作ったアプリは、現在全てAppStoreから消えています。

なんとも、ものづくりは儚い(はかない)ですね。

ただ、この会社でやってきたことが、私のプログラミングの基礎になりました。

はじめての転職

アプリ開発をしていた会社は1年半ほどで退職しました。

転職理由は、技術を学びたい欲がさらに出た、他の会社で働くってどうなんだろう、など色んな理由から。

転職先は「SES(システムエンジニアリングサービス)」事業を主軸に収益を上げているベンチャー企業でした。

SESとはいわゆる派遣のようなもの。雇用形態は派遣とは少〜し内容が違います。

その企業には2年ほど勤めました。

派遣のような雇用形態だったので、取引先企業へ出向することがほとんどでした。

ここでは色んな経験を積ませてもらいました。パッと思い付くものあげると、

  • ガチガチの中小企業で社内向けWebアプリの開発
  • ソーシャルゲームの開発・運用・保守
  • イケイケのメガベンチャー企業で広告(アドテク)関連の管理画面開発
  • iOS向けマッチングアプリの開発
  • 飲食店向けのiPadアプリの開発

などなど。

アプリ以外も手広くやらせてもらいました。

ソーシャルゲームの開発、あれはヤバかったっす。はじめて人がボロボロになるとこ見ました。

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ソシャゲこわい

急過ぎる、フィリピンのセブ島へ

そして突然、フィリピンのセブ島へ行くことになります。

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ほんと急すぎる(笑)

理由はふとした時に「ギャップイヤー」という存在を知り、これと同じようなことすれば、大学時代のあの無駄な出来事を帳消しにできる、と思ったから。

海外。とりあえず海外に行けば少しでもプラスになるんじゃないか。マイナスの部分、自分の中の暗い部分が見えなくなるくらいに、海外に行って輝けば、きっと過去を忘れられる。そう思っていました。

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今思うと、なんでそんなこと思ったんだと、この時の自分にツッコミを入れたい

会社に説明をし、期間は2ヶ月間で、帰国後も辞めずに務めるのが条件で、語学留学という形で話が成立した。

この時が私の人生初の海外渡航。

セブ島にいる2ヶ月間は、現地の宿泊施設付きの語学スクールにいました。

これで何かが変わるはず。

そう信じていた。

でも、現実はそんな甘いものではなかった。

良い方向に向かうどころか、日に日にマイナスの部分が深くなっていくような感覚になった。

授業中は「俺のやりたいことはこれか?俺は何をしているんだ?」、とそればかり考えていた。

考えてみれば、何をやりたいかなど、計画もなく、ただ海外に来ただけ。

私はまた時間とお金を無駄にしてしまったのです。大学生の頃から、私は何も学んでいなかったのです。

その現実が自分の中でズシンッと重くのし掛かった。

さらに慣れない土地での生活、来たからには頑張ろうと思い取り組んだ英会話も一向に上手くならない。

私はレッスン中に泣いてしまった。

先生もびっくりしたと思う。でも先生は優しく慰めてくれた。

ただ、途中帰国はせず、最後までやり抜きました。

これを通して気付きもありました。

海外には様々な土地や文化があって、そこには日本とは全く異なる価値観を持った人たちが暮らしています。

そしてなんだろう、みんな陽気でポジティブなんです。

日本にいると感じる異様な空気感、閉塞感は微塵も感じませんでした。

国が違うとこうも人は違うものなのか。

フィリピンのセブ島留学の結果は、悪い部分もあったけど、海外への興味が湧いた僕の中では大切な経験のひとつにもなりました。

帰国後はフリーランスへ、でもすぐ辞める

帰国後は、所属先の会社で3ヶ月働いた後に、フリーランスのエンジニアとして働くことになります。

でも、なぜフリーランスになったのか。

それは、自分が何をしたいかよく分からない状態になっていたのです。

だったら、やりたいこと見つかるまではフリーランスも悪くないと思ったから。

でも、そのフリーランスの仕事は長くは続かず。

取引先の企業から急に契約を切られることになるのです。

普通はありえないことで、たぶん色々手立てはあったと思うのですが、されたショックで何もすることができず。

人はこうも簡単に、他人の生活を壊すことをするのか。

私はそう思った。

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人ってこわいよね

さらに契約を切られたのが年末で、その期間は仕事がどっと減る時期。

探そうにもなかなか決まらない状況。

ショックから、一ヶ月ほどずっと家にいて引きこもっていました。

家から出たらお金使うし、家を出るのがそもそも嫌でした。

少ない貯金(セブ島に行ってたから貯金ほぼなし)を削って生活していました。

引きこもってた頃は、まさに負の塊のようだったと思う。

何もする気が起きない。

人間、ずっと引きこもってると、喋り方を忘れてくるのです。

あれ、声ってどうやって出すんだっけ?って。

誰とも話しませんからね。

ただ、引きこもりも長く続くと、私の中である考えが芽生えます。

「世の中に何も価値を提供していない自分」が嫌だ、と。

ただ空気を吸って生きているだけの生活は無理だ、何かしなくては。

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たぶん根は真面目なんだ

そう思い、すぐに動き出しました。

進路先は、フリーランスはまだダメージが残っていたので、再就職を選びました。

再就職先は過去の経験もあったので、慎重に選びました。自分が働く上で何を重要視したいなのかを明確にして、転職活動をしました。

何社か面接を受けて、どうにか希望通りの就職先に内定をいただきました。

今は、とあるスタートアップ企業でエンジニアとして色々やってます。

そして現在

現在は仕事のほかに、「茶道」に力を入れています。

そう、お茶です。

毎週末、2人の先生から厳しい指導の元、稽古に励んでいます。

一人は家元で長年稽古を積まれた方で、この先生はかなり厳しい方です。

私は日本が好きで、日本の文化が好きです。

そして、現在、私はアメリカ人の彼女と同棲しています。

今の私の夢は、彼女の両親に茶道を披露し、日本の文化に触れてもらうということです。

小さな目標ですが、これが今の私の目標です。

これは先生方には言っていません(いつか言います)。

それまで稽古に励みたいと思います。

かな〜り長い文章でしたが、最後まで読んでいただき有難うございました。

掴みどころのないフワフワした人間ですが、どうぞよろしくお願いします!

ほいでは!

その他に書ききれなかったことはこっちに。

投稿後記

フリーランスが終わった後に、私は企業を何社か転々とします。

その期間中、ある企業に所属していた時は、「一般的な」オフィスに寝泊まりしながら生活していました。

色々あってお金なかったんです(笑)

オフィス生活は以前に経験済みでしたが、その時はマンションの一室(マンションの部屋を会社の登記住所にしていた)だったので普通に生活できる環境がありました。

でも、そうではない場所です。

生活環境は、もちろん良くないです。

洗濯機は無いから、洗濯は近くのコインランドリー。シャワーはジムを契約して毎朝晩そこへ。寝るところはソファー(壊れてるし、なんか臭いし)。

夜はリラックスしたいから、他の社員が帰るまで、どこか静かなところへ。

食べ物は、レンジで作れるものを、コンビニかスーパーで買って食べていました。

そんな生活を送っていたことがありました。

その生活も長くは続かず。

ある日、呼吸が苦しくなり、めまいを起こし、夜、救急病院にお世話になることに。

ストレス性疾患でした。

日々のストレスが影響して体が悲鳴を上げたのです。

薬のお陰で比較的に早く回復できましたが、私はこう思いました。

ここに居たら死ぬ。

この出来事がきっかけで、引越しを決意します。

自分の体は大事にしないといけませんね。

今では自他共に認める健康オタクです。

っていうのを、プロフィールの中のどこかに書きたかったなあ。

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書いてる人

maechan

maechan

ベンチャー企業、フリーランス、スタートアップを経験。開発業務、人事業務に従事していました。現在は農業系スタートアップ企業でエンジニアとして働いています。リモートワークをしているノマドサラリーマンです。詳しいプロフィールはこちら。 [詳細]

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