茶道の歴史や千家の歩み、そして千利休について学べる本!千家家元 千宗屋「茶 利休と今をつなぐ」

またまた茶の湯に関する本にどっぷり浸かっておりました。

武者小路千家15代家元 千宗屋の著書「茶 利休と今をつなぐ」でございます。

これもまた面白い本です。

本の内容

茶を「礼儀作法を学ぶもの」「花嫁修業のため」で片付けるのはもったいない。本来の茶の湯は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の全領域を駆使する生活文化の総合芸術なのだ。なぜ戦国武将たちが茶に熱狂したのか。なぜ千利休は豊臣秀吉に睨まれたのか。なぜ茶碗を回さなくてはいけないのか。死屍累々の歴史、作法のロジック、道具の愉しみ―利休の末裔、武者小路千家の若き異才の茶人が語る。新しい茶の湯論がここに。

via: 茶―利休と今をつなぐ (新潮新書)

目次

第1章 誤解される茶の湯
第2章 茶の湯の歴史を駆け足で
第3章 茶家に生まれて
第4章 利休とは何ものか
第5章 茶席に呼ばれたら
第6章 茶道具エッセンシャル
第7章 深遠なる茶室
第8章 茶事はコミュニケーション

via: 茶―利休と今をつなぐ (新潮新書)

利休切腹後の千家の歩み

千利休が、当時の権力者であった豊臣秀吉の怒りを買うことになり自刃、その後の千家がどう歩んできたのか。

本書を参考にまとめてみます。

利休自刃後、利休の息子「小庵」が千家の血を絶やさぬよう勤める。

その小庵の息子「宗旦」が彼の息子たちを各大名の元へ「茶頭」(貴人に仕えて茶事を司る茶の湯の師匠)として派遣。

次男 一翁宗守(いちおうそうしゅ)を讃岐高松 松平家に、三男 江岑宗左(こうしんそうさ)を紀州 徳川家に、四男 仙叟宗室(せんそうそうしつ)を加賀藩 前田家にそれぞれ従えさせる。

その後、千家を3つに分ける(リスクヘッジも兼ねて)。この時に息子たちがそれぞれ千家茶室(官休庵、今日庵、不審庵)を受け継ぐ(現国宝)。

明治時代に入ると、各道府県警察(政府)による鑑札制の運用や、風紀取締りのための運動が実施されるようになる(参考)。

その運動の一貫で政府から、茶道は「国家に益無き遊芸」と見なされ、茶道の宗匠たちは「遊芸稼ぎ人」という鑑札を与えられる。

それが影響し、千家もとい茶道の「株」が落ちてしまう。

江戸時代を通じて大名家に茶頭として従えてきた千家(並びに各茶家)は長年のクライアントを失い窮地に。

その後、表千家は三井家(三井財閥)、武者小路千家は平瀬家という豪商の支援によって苦境を乗り越える。

一方の裏千家は、茶道を「礼」「作法」へシフトすると同時に、少数のパトロンに頼るのではなく、広く大衆に、それも女性に茶の湯を普及させるべく、大きく視野を広げる活動を行う。

その後、裏千家茶道は跡見学園の正課の中に組み込まれる。

幾度の紆余曲折を経て今日の千家茶道は続いている。

ざっくりと千家の歩みを書いてみました(疲れた・・・)。

面白いのが「裏千家」です。

これまでの茶を「女性の礼法教育」として使うという手法を考案し(元々茶は武士、男が嗜むものでしたから)、この女性をターゲットにしたマスマーケティングが成功。

他の千家と違う道を歩むことは色々と葛藤もあっただろうし、これまでの千家としての「銘」もあるわけで。これだけ大胆なことをしないといけないほど困窮していたのかな?

裏千家は「実生活の中の茶道」のような側面があるようで、裏千家には「盆略点前」というお盆を使う裏千家独自の点前があります(初歩の茶道 割稽古 裏千家茶道教科 点前編(1) p.81)。

盆、つまりお皿などを乗せる「お盆」を使った点前です。

広く一般に普及させるためには「炉」や「台子」を使う作法では少々都合が良ろしくないですから。

これは茶道を一般家庭に普及させる施策の一つであると考えられますね。

ちなみに盆略店前を考案したのは裏千家13代家元円能斎鉄中(1872~1924年)で、跡見学園が開設されたのが1875年。学校教育の一貫(または一般家庭)に取り入れるために考案されたことが伺えますね。

調べると裏千家は、他の千家とは違う歩み方をしていて非常に興味深いです。

裏千家茶道の特徴の説明で、たまに「裏千家には自由さがある」と見かけるのはこれが所以なのかな。

ステレオタイプな利休像

千利休といえば現在の茶道を作り上げた「茶聖」とも称せられる人物。茶道といえば千利休と連想するほど、その名前を知らない人は少ないでしょう。

ただ、一般の方が知っている千利休、これはメディアが作り上げたステレオタイプとしての千利休であるということ。

メディアに取り上げるなら、話題になってなんぼですからね。

千利休を題材にした映画作品や展覧会、そして和デザインや仏像ブームと連動して美術雑誌やライフスタイル雑誌など、各メディアが挙って千利休を取り上げ、千利休をアイコンとした「茶道」が作り上げられてきました。

ですが本当はもっと泥臭く、我の強い人物であったというのです。

ただ岡倉天心「茶の本」のイメージが強く投影されているためか、「芸術家」としての顔が強すぎて、やりすぎかなと感じる部分があるのは否めません。
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(略)
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山田芳裕のコミック「へうげもの」に登場するある意味泥臭い利休像は、意外と事実に近いのではないかと感じました。

via: 茶―利休と今をつなぐ (新潮新書)

激動の時代を生きた千利休、私たちが思い描いているような「聖人君子」ではいられなかったようで。少々気の荒いところもあったようです。

あまり一般的には取り上げられないのですが、若い頃に圜悟の法孫にあたる密庵咸傑の墨跡を入手した利休が、ある茶会でそれを掛けたところ、誰もそれを認めない。いぶかしく思って集まった客に「これはどうですか?」と訪ねたところ、「ものが悪い」と。面目を失って激高した利休はその場で墨跡を破り捨て、しばらく自邸に逼塞していたと書かれています。

via: 茶―利休と今をつなぐ (新潮新書)

千利休にはこのような一面もあるのかと驚いたのですが、政治経済が急速に変化する時代の中。心身を正常に保つのも骨の折れることでしょう。気性が荒くなるのも無理はなしか。

本書を読むまでは知らなかった新たな千利休像です。

茶事、神聖過ぎる

本書の第8章「茶事はコミュニケーション」で、著者と神戸女学院大学教授の内田樹さんの対談を読み、茶事ってなんて神聖な行事なんだと思ってしまった。

茶事は人類が猿からヒトになるまでの再現であるというのです。

茶事の流れが人類の歴史を描いていると。

この考え方はブッ飛んでいる・・・故に面白い。

この考えと茶事が関係している部分は以下。

  1. はじめは無言(まだ人が猿だった時)
  2. 茶室へ躙口から入室(四足歩行から二足歩行へ)
  3. 火を囲む
  4. お酒とご飯が出る(共飲共食儀礼)
  5. 濃茶の回し飲み(共飲共食儀礼)

茶室に入るまでは亭主とは口を聞いてはいけない決まりがあります。また、茶室へ入るには入り口である躙口(にじりぐち)から入るのですが、その入り口はサイズが大きくなく、腰をかがめて文字どおり躙るように入ります。

これは人がまだ猿だった頃を表現している。

そして茶室に入り、炉中の火を囲む。

人類が初めて火を手にして共同体を形成する前。

茶事が進むと懐石料理お酒が振舞われ、最後に濃茶を客が回し飲む。

共飲共食を行い共同体を完成させる。

さらに茶の湯が流行する前に応仁の乱が起こり、その影響で壊滅的な共同体の解体があり、早急な共同体再構築の要請があったと、本書で述べられています。

応仁の乱の影響で、身分や社会の流動化の加速、戦場になった土地の壊滅的な被害を受けことなど、茶道は共同体再構築のプログラムという考えは強ち間違いではないのかも。

おわり

茶道の歴史や千家の歩み、作法のロジック、千利休についてなど、茶の湯の全体像を俯瞰できる内容で、どの章も興味深い内容です。

特に第8章「茶事はコミュニケーション」は衝撃度は強め。

著書が茶家の家元であるため幼少期の頃の話や茶家のお家事情なども拝見できるので、家元に興味がある方に嬉しい内容も含まれています

茶道の歴史を一から学んでみたい方の最初の一冊にお勧めの書籍です。

興味のある方は是非手に取ってみてください。

茶事の解説イラストかわいい。

ABOUT ME
maechan
ベンチャー、フリーランス、スタートアップを経験。 開発業務、人事業務に従事していました。 現在は農業系スタートアップ企業でエンジニアとして働いています。 リモートワークをしているノマドサラリーマンです。茶道とワークアウトが趣味です。